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どうにもならないとは思いつつ記録をしようと思う。明日は多分九割方休むことになるだろうな。
小説書きたい。

なんか色々なことがあった。まだメンタルがぶれる時期ではないのにぐらぐらしている。色々なことがあった。

つらいときは大体、どうしてつらくなるのかわからないまま強制終了を食らうみたいにいきなりおしまいになる。最近は把握できるようになった、と思っていたが今回はいきなりで、まあ単純に予定は詰まっていたな〜、ではあったけれど。

子どものエネルギーは今回もすごくて、お母さんって本当に365日ひとりの、もしくは数人の子どもに対して、絶え間なくお母さんで居続けるんだなあって思って、途方もないなあって思う。

仕事は今かなり嫌だけど、心身に影響が出ない限りはお金を稼ぐことに集中していこうと思う。笑うのがちょっと下手くそになってしまったかもしれない。
あと、いくらわたしが若いとはいえ人が人として必死で取り繕っている化けの皮を剥がそうとしてくるのは、それは、趣味が悪いということにならないのか?

どうしてこんなことになってしまっているのかいつでもわからない。わたしはわたしのことをいつでもわかりたいのに、いつまでもわからない。

でも最近、どうして今まで気付かなかったんだろうということに気付いたタイミングがあって、もう後戻りがきかないことを実感しつつ、やわらかい動揺の中にいる。

母とはすっかり女友達を模したような間柄になって(あくまでわたしの主観で)、これからは毒抜きのような役回りをこなせばいいなら、それはもう以前よりずっと楽なことで、快い。良かったと思う。

しかし、わたし自身が頼るところがないのは心細く、しぶとく生きるための手段としての結婚をとろうとしているのかもしれない、高揚の影に隠して。
恋ではないので打算もある、それが苦しい。
潔癖な人間だよね。
それだけで寄りあえるわけがないから、それでいてわたしはわたしの直感を信じてそれを正にする性質だってあるから。結果的に。結果的に、どうなるんだろう。
これまで論理的に選んだことってぜんぜんない。高校も就職も、恵まれていたとしか言いようがないけれど。

二階堂大和さんに思いを馳せることが多い。人格で言えばその路線、を、通っているんだろうなあって勝手に思っているから。
いつかすべてを間違えたあとで、それに気付けたらいいと思う。強張った顔で今抱きしめているすべてのものを、なんだと笑って手放せたらいい。
ずっと自分でいることに疲れている。好きなひとやひとりでいたら楽だし、それじゃだめかなあって思う。