240120

 

ひとの話を聴くのが苦手なのはわたしがいまよりかなり嫌な子どもだった頃からずっとで、たぶん義務教育ちゃんと聞いてこなかったことに基づくんだと思うけど、最近1年生レベルからちょっとずつ履修しはじめたらちょっとはうまくひとの皮がかぶれるようになった気がする。
最近は深呼吸を覚えた。かつては愛してやまなかったわたしの思考を手放して、手先の感覚をはっきり味わう方法。
人の皮って面白い。

ルールを守ることで守られるものがある。社会で呼吸を始めてもうすぐ丸三年が経とうとしていて、わたしは結構適応できてきたのか、それともこの輪の中で諦められてしまったのか、読みきれないままいつでも機嫌よくにこにこ笑っている。

いつも世界は透明なガラス越しに回っていて、それを幼さと呼べる日がいつかくるんだろうけれど、みんなのことはいまだによくわからない。

結局交際関係なんて求めてないんだよと、気づけるのはいつもこの時期になってかららしい。去年もこの時期に恋人を振っているのを、台湾の男とのデートをドタキャンしながらはっきり思い出した。
ああこれバイオリズムか。気付いたから来年から気をつけたい。字と音と酒があれば娯楽はOKなにんげんらしい。コスパいいな。
結局ひとはひとりだと思うともう別にいいんじゃないかと思えてしまう。ひとりでもまったく退屈しないタイプは、どうやってひとと寄り合うんだろう。連絡も会う頻度も苦痛じゃなかったのにダメになってしまいそうなことにうっすら混乱している。拗れたあたしの理想形、に近いひとだったのに、これでだめならもう。

雨の日、ラーメン屋までの道を歩きながら、あんまりお腹も空いてなかったし寒かったし、でも八重歯の店員さんはかわいくて、でも暖房の風が髪を揺らしてて、やっぱり悪夢みたいに不快な空間だった。今はひとりで過ごすべきと強く感じた。

noteでいつも読んでいるひとの文章に、「私が求める支援は、ともに散歩してくれること、セックスして現実逃避させてくれること。」とあって、不適合、と思ってずっとそれが引っかかっている。
でもそれが正にちかい感覚なんだろうなと理解はできるし、もどりたいとなんとなく思う。

島本理生を読んでる。文字のモチベが高まる。人に迷惑かけずにひとりで書きたいけど上手くいかないのでこっそりめちゃくちゃしたい。

ずっと自我を見てもらっていた好きなフォロワーとも縁が切れて、これだからやめられないんだよなあてしみじみ思う。いろんなものを見たり見てもらったりして何事もなかったかのようにさよならする。結局わたしも愛される努力をしたくない側だからな。人の首絞めないように気をつけます。
年末あたり、自分についてかなり嫌な表現を人にされて激昂していた記憶があるけど、二階堂さんの感情クリアに浴びた気分で本当に嫌だった。
わたしもいつかわたしに対して然るべき処置を取れる日が来ますように。

ひとりの人と一緒にずっと二次創作を見たり見てもらったりしてた時期のことを思い出す。文章が上手くて大好きで悔しいが勝るような、かなり執着してたし、本当に楽しかった。ああいう箱の中にもどりたいんだろうなってわかってるけど、あの場所はあそこにしかなかったもので、コントロールでどうにかできるものじゃないんだよ。
置かれた場所でちゃんと咲けるようになりたいです。

朝から重たくなっちゃったな。雨か。ゴミ捨ててメルカリ出品して、課金はあまりせず、穏やかに過ごしたいです。
ちょっとダウン気味の時期に入ってるので、なるべく毎日日記を書いて膿出ししていきたいね。